<< 2012年04月
1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30

蘇州の「鳥の巣」:蘇州科技文化芸術センター

2012/04/23 10:48

 

前回アップからまた間が空いてしまいました。前回は蘇州の名園ウォッチング。まだまだ名園は続きますが、今日は蘇州のアーバン・ガーデンのウォッチングで行きたいと思います。

 

今回のウォッチングは蘇州の東、蘇州工業園区にある金鶏湖という総面積約10平方キロメートルの湖のほとりにある、蘇州科技文化芸術センターSuzhou Science and Cultural Arts Center

北京オリンピックの時の陸上競技場は通称「鳥の巣」と呼ばれていましたが、こちらの芸術センターも同じ通称の「鳥の巣」で通っているようです。

 

二十一世紀の蘇州、「人類の新天地」の象徴としての場所として整備されたセンターは、延べ面積15万平方メートル、1200席の大劇場、IMAXシアター、演劇が実演されるレストラン、商業センター、芸術大ホールなどがあり、中国の有名な映画賞「金鶏賞」の授賞式もここで行われるという事です。

 

さて、ここのアーバン・ガーデンはというと、よく言えばスケールが大きいですが、実際は「だだっ広い」、「スケール・アウト」の広場。当日は曇りで湖も霞がかり、ほとんど見えない状態で肌寒かったので良かったですが、夏の暑い日には日陰が無く、舗装の照り返しも強そうにも思えます。

 

ところがこの場所をグーグルアースで見てみると、反対にそのスケールに圧倒されてしまいます。広場にもこんな舗装パターンがあったのかと驚きです。これらのパターンというか舗装デザイン、計画図や航空写真からは感じられても、地上でのアイレベルではほとんど効果無し。大陸的といってしまえばそれだけですが、何か肌理の細やかさの様なものが欲しくなるのは日本人的な感覚なのでしょうか?

 

航空写真では右隣にある建物は商業施設になります。月光仮面ならぬMoonlight Harborとあります。こちらの方は、全くのアメリカンなショッピングセンター。中国的なるものを全て消し去ってのコンセプトの様ですが、どこかの国にも似た様な「ナントカ村」がありますね。ちなみにランドスケープの設計がアメリカの事務所。と言うことでこうなる?あるいは施主の意向でしょうかね?

 

湖は全く霧の中。ウォーターフロントのレストランも平日で休業のようでした。

 

ここで面白いのは、アート。ベンチにもなるアートは、映画祭も意識しての映画フィルムをモチーフとしたもの。そのフィルムの上をハルクのような緑色の少年がスケボー。

 

こちらは湖の中の魚群のアート。後ろに付けられた水色のラインが、スピード感を感じさせます。こういった表現は漫画の効果に良く見られますが、3Dのアートにしたのは珍しい。


今回は商業施設のレストランに昼食に寄っただけなので、隣のセンターの中庭や隣接する公園などを見ることができませんでした。次に行った時には見て、報告したいと思います。 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 海外のアーバン・ガーデン

映画の中の風景をウォッチング:ガリバーがブレニムパレスに登場!

2012/04/10 08:35

 

一昨日、wowwowを見ていたら映画の「ガリバー旅行記」をやっていました。この映画は、昨年春にアメリカへ向かう飛行機の中で少し見たものでした。少しというのは、アメリカン航空のシート機材の整備不良で、音声がほとんど聞こえない状態だったので、映画画面を眺めている程度だったからです。

さて、この映画、特撮(この言葉はもう死後?怪獣映画に聞こえる?)いやSFXか、特殊効果というのでしょうか、映像処理が優れている事もありますが、そこで使われているロケーションに見るべきものがあります。

 

小人の国、リリパッド王国の宮殿が、何とあの英国のブレナムパレス。後半の海戦で登場するお城?中庭があってツインの尖塔がある建物は、ロンドン、グリニッジビレッジの旧海軍大学なのです。

 

まずはリリパッド王国の宮殿を見てみましょう。

映画では中央円柱形部分の最上部に王妃が出て、右下の階段部分に恋人が立ち、建物の向こう側にガリバーが隠れていたシーンに使われていましたね。

 

以前にも少し紹介しましたが、ここは故チャーチル首相の実家。さて、この正面のファサードについては、建築家R.ベンチューリが彼の名著「建築の多様性と対立性」(伊藤公文訳、SD選書、鹿島出版会)において面白い記述をしています。少し引用してみます。

「ヴァンブラ設計、ブレニム宮の入口側ファサードの中央パヴィリオンの端部の柱間(ベイ)は、もうひとつの柱形によって分割されていて部分的には誤ったものと言える。そうした細分化は二重性を招き、まとまりを損ねている。しかし全体としてみた場合には、そうした不完全さそのものが、むしろ中央の柱間(ベイ)を強調し、複雑な構成にまとまりをもたらしている。」

なるほど・・・そう言われると確かに~

 

こんなところについても言及しています。

「装飾の機能の多くは修辞的である。たとえば、リズム感をかもし出すバロック建築の付柱とか、ヴァンブラのブレニムの厨房中庭へ至る入口部分の独立した飾り柱がそうだ。それらは、建築的には虚勢をはったものと言える。現代建築においては、修辞的であると同時に構造的でもある要素はまれである。」

これがメインのエントランスではなく、厨房中庭へのエントランスである事を考えると、たしかに「虚勢」?

 

映画ではあまり出てきませんでしたが、このブレナムパレスは英国庭園の代表作。造園家ケイパビリティ・ブラウンによる庭園は、「これが人が作った風景?」と思わせる程、”自然風”で“絵画風Picturesque”で壮大なスケールのものです。この水面をつくるために、既存の流れにアースダムをつくって、この風景ができているところなど、「ケイパビリティCapability」というニックネームがつくもの納得です。(彼は造園を依頼された敷地を見て、最初に施主に言うのが「この土地には可能性Capableがある」と施主の心をくすぐる様な事をよく言ったが故に、このニックネームがついたとされる)

 

映画の後半に出てくるお城は、ロンドン東部、天文台で有名なグリニッジビレッジのテムズ川沿いにある旧海軍大学の建物です。設計者は何とあのクリストファー・レン(ロンドンのセント・ポール大聖堂の設計で有名)。しかも周辺を含めた歴史的建造群は世界遺産登録。そこでガリバーが大活躍とは、ずいぶん大らかなものです。

 

ここについては、以前に以下のエントリで紹介しました。↓

http://3625pennslandin.iza.ne.jp/blog/entry/618719/

 

 

映画では背景には海の画像がはめ込まれていましたが、実際には再開発のキャナリー・ウォーフが見えます。

 

映画を見ながら、これはどこ?と探すのも面白いし、旅に出た時に映画のロケ現場に出向いて、映画シーンに思いを巡らすのが好きです。しかし、授業等で「これはあの映画のあのシーンで出てきたでしょう」と紹介しても、学生は「ハ~ン、ポカーン?」といったリアクション。私の見ている映画が古いのかもしれませんが、今の学生さんは、昔に比べるとあまり映画に興味が無いのも一因でしょうか。(さすがに古くても、「ロッキー」の階段のシーンぐらいは、今の若い人も知っているようですが・・・)

ランドスケープとは、大きくは風景を作る事。映画もそのフレームの中に風景を作り込む事。映画のシーンから学ぶものは多いと思います。学生諸君、もっと映画を見ましょう。旅に出て、良い風景をもっとたくさん見ましょう。 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: アーバンな環境のなかの庭園:海外編

九段、靖国のサクラが見事です。

2012/04/07 08:19

 

昨日は千代田区役所へ行く用があり、次の打合せとの合間をぬって靖国神社

 

九段坂から靖国神社の境内は、ソメイヨシノが満開?というよりニュースによると7部咲きでした。確かに枝先を見ると咲いていない蕾も多く、武道館の九段坂から見るお堀沿いのサクラも遠くから眺めても、蕾が多いやや赤みがかった色彩にも見えました。この週末が満開の見頃だと思います。

菊竹清訓氏設計のドラム缶?いや、「昭和館」より撮影。右手が九段坂。昭和初期にはこのお堀の土手部分を市電が走っていました。

 

武道館で東洋大学の入学式もあったせいか、とにかくすごい人です。靖国の境内は縁日もでて、昼からサクラの下で花より団子、花よりビールといった輩も多く見られます。

このサクラの時期になると、どうしても九段、靖国あたりに来てしまうのは、靖国神社のすぐ隣に高校があったからでもあります。高校は、自由な校風だったのでサクラの時期や夏の御霊祭りというと、休み時間や昼休み、時には授業をさぼっては縁日での買い食いや花見に明け暮れておりました。(で、当然のように浪人でした)

 

靖国神社境内のサクラ。向こうに我が母校。この辺りは、安岡章太郎氏の「サーカスの馬」の舞台。昔はサーカスやオートバイの曲芸乗りも出ていたんですね。

 

さて、このサクラについては、岩波新書「花と木の文化史」に中尾佐助氏が面白い事を書いています。要約すると・・・

 

日本のサクラ属、野生種はたくさんあるが、観賞の対象となる野生原種は5種類程。ヤマザクラ、カスミザクラ、エドヒガン、それにオオシマザクラの5種類。ソメイヨシノはどこにというと、上記野生原種の他にサトザクラと一括される栽培種、これが400から500種ほどあり、その中にソメイヨシノも含まれる。

さて、そのサトザクラ、林弥栄先生の「日本のサクラ」によると、サトザクラの目ぼしい品種100種リストを分析すると、約8割はオオシマザクラ、またはそれと他のサクラとの雑種。ヤマザクラなどは上記100種の内の8品種ほど。

サトザクラの大部分はオオシマザクラの原生地付近からでたもの、つまり伊豆半島か房総半島などの狭い地域がサトザクラの故郷になるという事です。

 

九段坂から田安門をのぞむ。八代将軍吉宗の第二子宗武が田安家を興したが、この門の方が歴史が古く、1636年建設。

 

前述の「花と木の文化史」によると、サトザクラは武士文化によってつくりだされたもので、鎌倉を中心とした政治、文化から全国に広がったのではないかとされる。確たる文献証拠はないが、室町時代の京都の千本の閻魔堂に普賢象というサクラがあり、それは鎌倉の普賢堂から移植されたオオシマザクラ系のサトザクラであったとされる。それでは、当時のサトザクラが鎌倉や京都に現在見られるかというと、サトザクラ系はソメイヨシノもそうであるように、短命なものが多いので、現在は見る事ができないという訳です。

 

いつも開花時期になるとニュースになる開花宣言木付近。

 

京都の金閣寺の三代将軍義満が造営した頃にはサクラが植えられていたが、現在はほとんど皆無。鎌倉は江戸時代にはすでにサクラの名所ではなかった、あるいは江戸時代にサクラの名所であった小金井や桜堤などが明治になって消失してしまうのは、このサトザクラの短命に起因します。

 

ここ九段や靖国神社サクラも、ほとんどがソメイヨシノです。ソメイヨシノの寿命は短命で人の寿命にも近い60年から100年とも言われています。千鳥ヶ淵のソメイヨシノは昭和30年頃に植栽というので、私とほぼ同年齢。九段坂のソメイヨシノも昭和のはじめの写真を見ると無いので、これも60歳から80歳?(古い写真だと、この九段坂のお堀沿いを都電?当時は市電が走っています。ちょうどサクラの植えられている場所にです)

枝先をクローズアップすると、まだまだ蕾が多いです。(6日昼)iPhoneだとぶれますね。

 

昨日の混雑ぶりを見ていると、日本人ほど季節、その移ろいに敏感でそれを楽しむ民族はいないという事を実感します。春を代表するサクラの風景、そろそろ寿命が近くなっている事を考えると、延命策、更新策などの対策が必要でもあります。

 

九段に来たら、花見だけではなく、ちゃんと靖国神社をお参りしましょう。

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 植物について

蘇州の庭園ウォッチング:滄浪亭1

2012/04/03 14:28

 

また、アップが滞ってしまいました。

というのも、先週の月曜日26日に、突然母が他界。朝、起こしに行くと布団の中で眠ったまま逝ってしまいましたが、90歳の年齢と死因が老衰という事を考えると、大往生であったと思います。

 

 

さて、ウォッチングを再開しましょう。前回は少しガーデンから話が逸れてしまいましたので、今回は軌道修正して、蘇州の名園に戻ってみました。今回は滄浪亭という、蘇州の名園の中でも一番古い庭園をウォッチングしてみたいと思います。

 

滄浪亭(そうろうてい)は、1,000年以上前の、唐代末期の956年に造園されたものです。宋代に入って、詩人の蘇舜欽が別荘とした際に改築され、滄浪亭と名付けられました。この名は、戦国時代の詩人、屈原が詠んだ「滄浪之水」という詩からきています。

「滄浪」とは「青々とした波」の事ですから、大きな池の庭をイメージして行くと・・・

 

まずは、平面図をご覧下さい。他の蘇州の名園と比較しながら、ここの特徴を考えると、他の多くが中央に池、その回りを散策して巡る、いわゆる池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の庭園ですが、ここの場合は、中央は築山でその回りを屋根付きの回廊が巡る、そして運河に隣接しているのが特徴的です。

 

運河沿いに建てられた建物の回りを回廊がめぐり、そこから運河を眺めながら夕涼みをする。借景とは言えませんが、敷地外部の景観を見るという庭の楽しみ方がここの特徴でもあります。

 

外部から庭を見ると、運河越しに回廊と園路、東屋が連なります。これも一つの絵となり、庭園に入る事ができない外部の人にも、庭園の一部を景観として提供しているところが面白いところです。「滄浪」の意味する青々とした波は、庭の小さな池の波というよりも、この外周の運河の水面に作られる波なのでしょう。

 

庭園の中からこの回廊を見てみましょう。小さな池の回りを巡る回廊は、地形の微妙な起伏に沿って上下し、回廊の壁の透かし窓、これが色々な形状やパターンで目を楽しませてくれます。

 

もちろん、ありますよ。太湖石(たいこせき)。ここでは築山にして、その中央には英国庭園のグロットのようなトンネル。 この太湖石の築山は、トンネルをくぐったり、頂上に登ることで、明るいところから暗いところ、高いところから庭を見下ろしたり、築山を下から見上げることで、庭をより豊かなものとして見せてくれる仕掛けでもあります。

 

蘇州の庭園を連続で見て行くと、どれも同じように見えてきますが、微妙な違いと特徴が見えてきます。 

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 指定なし

上海のアスターと公家公園

2012/03/20 10:13

 

蘇州の名園、拙政園、獅子林と見てきました。まだ留園などの名園がありますが、ここで小休止。リンリン、ランラン留園、獅子林と中華料理店の名前が続いたので、ついでにここで銀座アスターならぬ、上海のアスターホテルについて紹介したいと思います。正確にはアスターハウスホテル。

 

このアスターハウスホテル、創設は1846年と日本の江戸時代。上海でも、この街が租界として小さな村から一大租界へと変身する契機となる南京条約締結の4年後にできたという、この街の発展をそのはじめから見てきた古いホテルです。最初は創業者のイギリス人名Richard’s Hotelリチャーズホテルと呼ばれていたものが、1860年に売却され現在の名前のAstor House Hotelアスターハウスホテルとなっています。

 

このアスター?銀座アスターとの関係というよりも、アメリカの資産家のアスター家に由来。アメリカでアスター家というと、4代目がニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルを建てた事で知られる超資産家。それでは、この資産家のホテルかというと?さにあらず。上海一、東洋一の西洋式ホテルという事で、1860年にホテルを買ったHenry Smithという人が、1836年にニューヨークにアスター家が建てたAstor Houseを真似て名付けたとされています。

ちなみに、先に挙げたアスター家の4代目、1912年にリバプールで乗った船があのタイタニック。救命ボートに残った唯一の席を最愛の妻に譲り、彼は船と運命を共にした事で有名。映画でもヒロインがデカプリオに「あれがジョン・ジェイコブ・アスターよ。この船で最もリッチな人物」とささやくシーンを思い出す人もいるでしょう。

ということで、このホテルと超資産家のアスター家との関係は無い。何~んだ、まがい物かと思いきや、その後の宿泊者がキラ星の如く。1879年には元アメリカ大統領のGrantグラント。(この人は南北戦争の時の北軍の将軍で、南軍のリー将軍を破る。スキャンダルなどで大統領を退いた後に2年間世界旅行。その際に上海でこのホテルに滞在。その時、日本も訪れ浜離宮で明治天皇にも会見)

その後も1920年には哲学者バートランド・ラッセル、22年にはノーベル賞受賞直後のアルバート・アインシュタイン。そして喜劇王チャーリー・チャップリン

先週たまたまケーブルテレビで、このホテルの事を紹介、その中では幕末に長州で奇兵隊を率いた高杉晋作も泊まった様にも思わせる紹介ぶりでしたが、高杉晋作はバンドの南のフランス租界のホテル(宏記洋行に2ヶ月)に宿泊したとの事。でも高杉晋作が見た上海のなかにも、このホテル(現在のものとは違ったものですが)があったと想像するのも,

なかなか良いものです。

 

さて、銀座アスターはどうなったかというと、これもアスター家、さらにこの上海のアスターハウスとは、直接関係はありません。しかし、この上海のアスターハウスがあって、銀座アスターの名前がついたとされています。銀座アスターの創業者である矢谷彦七は東海汽船の社員で1910年に上海に赴任して、この上海のアスターハウスに感銘を受け、1926年に銀座に中華料理店を創業する際に、このアスターという名前を取って、「銀座アスター」にしたという事です。ただし、上海のアスターは英語の綴りがAstorなのに対して、銀座はAster。間違ったか意図したかはわかりませんが、まあこれもご愛嬌といったところでしょう。

 

アーバン・ガーデンは?といった方の為に少しだけ、ガーデン・ウォッチング。

このホテルのすぐそばに、浦項公園という小さな公園というか緑地があります。今は外灘バンドの遊歩道、岸壁の整備に伴い、こぎれいな庭園風の緑地になっています。

ここが1869年に開園した当時は「公家花園」(Public Park)と名付けられ、別名「外灘花園」とも呼ばれていました。開園当時は、欧米各国の居留民しか入る事を許されず、「華人と狗、入るべからず」という文句が広まったとされます。1894年に公園入口に掲げられた実際の条文は以下の通り。

1.自転車と犬は入ってはならない。

2.乳母車は遊歩道を押して通ること。

3.花を摘んだり、鳥の巣を荒らしたり、草花・樹木に損害を与える事を禁ずる。

 子供をつれた保護者や女中はとりわけこの点に注意すること。

4.音楽堂に入ってはならない。

5.西洋人に雇われた使用人以外の中国人は、すべて入ってはならない。

6.子供は西洋人に伴われていなければ入ってはならない。

中公新書榎本泰子著「上海」P.229より

その後、租界に住む中国人の地位や民権意識の高まり、医師を中心とした市民活動によってこの公家公園とフランス公園への入園禁止や制限が撤廃されたのは、市民活動が始まってから42年経った1928年になってからとされます。

 

一つのホテル、公園からその歴史を紐解くと、色々なものが見えてきます。それが本当のウォッチングなのかもしれませんね。

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 海外のアーバン・ガーデン

庭への開口部:蘇州獅子林

2012/03/19 10:46

 

蘇州の獅子林のウォッチングを続けます。中国庭園の特徴の一つ、今日は建築と庭との関係を見てみたいと思います。

何と言っても特徴的なのは、庭へのエントランスです。回廊で庭を仕切るとの特徴の一つであると同時に、その回廊と庭との境界に開いた庭へのエントランス。それが色々な形態で庭へと視線を誘い込みます。

 

丸であったり、

 

丸が重なったもの。中に見えるのはスヌーピー? の様にも見えますが、太湖石の獅子です。

 

そして直線を使った八角形の開口部。

 

ここではエントランスの開口部は庭への入口であると同時に、回廊の壁の向こう側にある庭の風景を切り取って、回廊に掲げた絵画にもなっています。まさにチャーウィンドウとして開口部、エントランスが用いられています。

 

もちろん庭自体は散策して楽しむ為にできていますが、建物の内部から外の庭を見て鑑賞するものでもあります。

 

扉の正面に奇岩ともよべる太湖石を配する庭。

 

こちらは建物の扉、その向こうに回廊があって、回廊の壁の開口部が庭の風景を切り取る事で、建物と庭とが一体となった風景を楽しむ事ができる様になっています。もちろん日本庭園にも、建物の中から庭を見せると行った手法も多くありますが、ここで見られる様な建築と庭との関係に中国庭園の特徴といったものを見る事ができると思います。(日本の場合には、濡れ縁などの建物と庭との中間領域の存在が特徴的だと思います。) 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: アーバンな環境のなかの庭園:海外編

今日は茅ヶ崎高砂緑地の梅の開花情報

2012/03/14 09:03

 

今日は中国庭園では無く、近所の茅ヶ崎高砂緑地の梅のウォッチングをお伝えします。ここでは2月中旬に毎年好例の「梅まつり」が開催されたようですが、昨日の状況ではやっと梅の見頃、到来といったところでしょうか。先週行った小田原の植木の圃場でも、開花が今年は約1ヶ月遅いという事でした。

 

梅は満開ではなく、昨日の段階で7部咲きというところでしょうか。

ちなみにこの高砂緑地、茅ヶ崎駅から海岸のある南へ10分程のところにある緑地。元は明治時代に新派の俳優だったオッペケペー節で有名な川上音二郎の別荘。大正時代に日本化薬会長の原安三郎さん所有の別荘「松籟(しょうらい)荘」に。1984年に茅ヶ崎市が購入して緑地。茶室の回りは梅園を中心とした庭園として公開されています。

 

梅の学名はPrunus mume。ウメではなく、ムメ。でもこちらの方が元々の発音に近いようです。奈良時代に中国から持ち来られた頃の日本人はンメと発音されていたようです。

遣唐使によって最初に日本に持ち込まれたのは、木よりも先に「烏梅(うばい)」という漢方薬として。これは 未熟な梅の果実を薫製にしたもので鎮痛、解毒作用、健胃整腸の妙薬。その後、植物自体が持ち込まれ、薬、観賞用に広まったとされます。

(「烏梅」が中国語でwe meiウ メイであった事からウメの発音になったとの説も)

 

万葉集では梅を詠ったものが118首、それに対してサクラは44首。当時は中国文化の象徴だったのでしょう。(大分や宮城に野生があり自生という説もありますが)

梅に和歌といえば、菅原道真公の

「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花

      あるじなしとて 春な忘れそ」

今日の紅梅殿の梅に別れを惜しんで詠んだものです。

菅原道真はその数年後に、太宰府で無くなりますが、その死を知った京の梅が、一晩のうちに太宰府ヘ飛び花を咲かせたというのが「飛び梅」伝説。その伝説の梅がこれ。↓

 

でも、この梅は紅梅ではなく白梅とのこと。

以前に紹介したシェークスピアガーデンのように、ランドスケープや植物を文学との関係から見ていくのも一つの庭園の見方です。

でも花より団子?という人には・・・

そうですね~。梅干しの方は、平安時代に漢方医薬として広まり、鎌倉になってお坊さん、そして武士が出陣、凱旋に食したとされます。庶民の口に入るのは江戸時代。

塩梅(あんばい)という言葉は、塩とともに酸味料、味付けにも使われていた証拠です。

さあ、今日は国立でのオリンピック最終予選です。梅干しでも食べて出陣?それとも梅干しで凱旋といきたいところです。まだ当日券があるようです。国立を満杯にしましょう。 

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 植物について

蘇州獅子林の築山を探索

2012/03/13 08:10

 

前回に続いて蘇州の名園獅子林をウォッチングなんですが、今日はその築山についてです。この築山については、ウォッチングというよりもゴツゴツした岩山を探索、探検といった方が良いかもしれません。

 

前回、英国庭園のグロットの写真を最後にアップしましたが、グロットは人工の洞窟ですが、この獅子林の築山は洞窟ではありませんが、それに近い感覚を味わう事ができます。

 

両側から岩が迫り、上に石橋が渡る洞窟のような園路。その向こうに岩に開いた穴から庭の風景が微かに見える。一度こういった狭いスペースを通してから、開かれた庭園の景観を楽しむ。そうすると、小さな限られたスペースの庭園も何となく大きく見えるという効果も狙っているとも思えます。

 

中国庭園の根底にある思想の一つに神仙思想というものがありますから、これを見ると深山幽谷の風景の縮景である事が感じられると思います。神仙思想?仙人の住む深山に老不死の薬があるとされ道教にも影響を与えたとされる民間信仰とでも言えるでしょうか。

 

築山の中腹にある小スペース。ここでもコツコツと手作業で造った舗装の文様。道教の思想の根源でもある陰陽説、二元論的要素を表した太極の文様です。日本庭園の中にも、この陰陽の思想を取り入れて、陽石、陰石などを配したものを見る事があります。

 

築山を登ると、そこはある種、展望台とも言え、庭全体を上から眺める場所になっています。もちろん、この築山に登った人自体が庭の風景として楽しめるものでもあります。

確かに獅子林とはうまくいったもので、獅子がたくさん見えますね。

 

築山の展望台から庭を眺めると、池を中心に太湖石が取り巻く庭園全体を見渡し事ができます。池の中には東屋が見えますが、夏場ですと樹木の緑が生い茂り、池や東屋も緑の中に見え隠れする程度だと思います。冬場の庭園鑑賞は、このように庭自体のレイアウトを見るには向いています。

 

築山の上、獅子の間を歩く人。写真左の方、築山と池のエッジ近くに園路の舗装が見えると思います。ここも歩いて、正面のゴツゴツした岩のトンネルをくぐって上の園路に繋がります。このように園路は、平面的な移動だけではなく平面と上下に動き回る事によって、色々な角度から庭園を見せる視線誘導装置でもあります。 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: アーバンな環境のなかの庭園:海外編

蘇州の名園、獅子林をウォッチング

2012/03/12 13:36

 

蘇州博物館で現代建築、ランドスケープが続いてしまいました。今日は蘇州の4大名園の一つ、獅子林をウォッチングしてみたいと思います。

 

獅子林とは・・・

 

この獅子があるから?イエイエ、そうではなくて、庭中に埋め尽くされる様に置かれた太湖石(たいこせき)の景石が、獅子に似ている事からこの名前がついたそうです。それにしても、頭を撫でられすぎてハゲています。で、その太湖石はというと・・・

 

確かに獅子が立ち上がったようにも見えます。これは昼だから良いですが、この光景を月夜にでも見たら、異様な景観だと思います。

 

ここの見物は、こういったいろいろな形や大きさの太湖石ですが、それでもこういった回廊や東屋などの建築も重要な景観構成の一つになっています。回廊から雨にぬれずに庭園を眺める、あるいは回廊の掲げてある書を眺めて歩くというのが、ここの庭園の楽しみ方です。造園されたのが1342年ですから、その頃から屋外、半屋外のアートギャラリー的な考え方を発想した事に驚かされます。

 

ここでも池の中の東屋が庭園を絵として見せる効果的な要素になっています。この屋根の飛び跳ね方が中国庭園の中の庭園の特徴です。といっても、これが北京等の北方の中国庭園になると、日本の寺社建築の様に落ち着いた屋根の形になるところが面白いところです。

 

こちらは太湖石の固まり。その中を抜けながら、開いた穴から庭園を眺める仕掛けになっています。この感覚は、なかなか解りません。でも、これに近いものは、ヨーロッパの庭園の中でもグロット(人口の洞窟)に見る事ができます。

こちらはイギリスのストウ庭園のグロット。グロットはグロテスクという言葉の語源でもあります。 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: アーバンな環境のなかの庭園:海外編

珍しい藤棚や変わった形の木:蘇州博物館

2012/03/11 10:46

 

前回に続けて蘇州博物館をウォッチングです。今回は、建築ではなく、植物に注目です。幾つかある中庭の一つには、幹がバラバラに暴れたフジ。

 

 

面白いのはスチールの藤棚は、格子状の中に照明器具。古いフジを移植して活用しているのでしょうが、主幹からここまで枝分かれしたツルというのも珍しいもの。またその暴れたツルの姿を見せるというのも、日本人には無い発想です。このツルの暴れ方を見ていると、蘇州の庭園に多くあるゴツゴツの太湖石に共通するところを感じます。

 

もう一つフジの幹がありましたが、こちらはいささかまとめ気味。しかし、根元はずいぶんとひねくれています。

 

こちらは以前に紹介した正面玄関から見えたメインのお庭の一部です。ガラスの東屋の手前を竹でソフトに遮蔽。竹越しに庭園を見え隠れさせるところは、日本庭園のような手法。飛び石の使い方は中国というよりは日本庭園という雰囲気で、全体にシンプルな庭園。これでもかという程、庭園要素を盛り込んだ中国庭園風ではなく、シンプルな庭にしたのは、建築のデザインに合わせての事だと思います。

 

博物館のお隣には、忠王府という建物があります。扉には大きく太平天国とあります。ここは太平天国の乱の際の蘇州における拠点だったところ。キリスト教による国づくりを目指す洪秀全の元で蘇州を陥落させた忠王李秀成の玉座、銅像、礼拝堂などがここに展示されています。

このエントランスには2本の奇妙な形をした木があります。さて、何の木でしょうか?

 

 

2本ともエンジュの木。蘇州の庭園や上海の豫園でもそうですが、庭のエントランスや主屋の正面等にはよくこのエンジュの木を見る事が出来ます。エンジュは中国では縁起が良い木とされ、こういった使い方がされています。漢字で木へんに鬼と書いて槐(えんじゅ)と読むことからも、魔除け的な意味があるともされます。

学名にはJaponicaとありますが、日本には遣唐使が薬用に持ってきたものが広がったとされます。日本語のエンジュという発音を別の字にすると、延寿とも掛けるので縁起が良いともされます。

私はエンジュを良く使いますが、これはアメリカのポケットパーク等で良く見られるハニーローカストの代わりになる木として使います。美しい樹冠を作り、葉が小さく夏場には緑の下に木漏れ日の美しい空間を造るという事でこの木を用います。

でもこんなにおどろおどろしい樹形のものは使いません。使おうとしても、こういった造りのものは、探しても無いと思います。 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 植物について